20090621

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むかしばなし1



そうだったのだ。そういうわけだったのだ。

なんの話かって? 豚肉という男の勘違いのことだ。
45年もの間、脈々と続けてきた勘違いのことだ。

今回のことだってその流れの一部でしかない。



ドアの向こうのシルエットはただの佐川急便の女性スタッフだった。
異様に背が高いといぶかしく思ったのも、ドアをふさぐビニールが乱反射しただけだった。

太陽が攻撃的な光を誇っていたのも当然のことだった。
一日で最も日差しの強い時間なのだから。

もっとさかのぼれば、「差出人コロッケ、送り先豚肉」なんて伝票もなかったのだった。
品名に「豚肉コロッケ」とあったのを、自分の頭の中で勝手に組み替えてしまったのだ。



そう、すべては「だった」と補足してやれば清算できることばかりだ。
ただ厄介なのはこの勘違い気質が、常に焦りとそれに端を発する自己嫌悪を
もたらすということだ。


やってられない。

やってられないと思ったのはもう何度目だろう。
常に自らをネガティブな幻想に陥らせるこの才能、それで45年生きてきたことも確かだ。
それを認めることがやってられないというのに、それによってしかこの人生は為されない。


とかなんとか思索を巡らせるのも自分を落ち着かせるためだ。
思いを整理する作業は、自分をいくらか崇高なものに感じさせてくれる。
崇高さが自分を納得させる一番のエッセンスなのだ。


……それにしてもあきらめるしかない。
原稿の締め切りは2時間を切った。

しかもこの期に及んで原稿をほったらかしに、大阪に住む妹から送られてきた
豚肉コロッケを食べることしか考えていない。


とか考えているとまたもやインターフォンが鳴った。
今日の私は人気者らしい。

「どちらさまですか?」

「おれおれ! 約束よりかなり早いけど原稿できてるか」

20090619

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むかしばなし1


「だからさ。今は朝7時前だって。おかしくねえかい。」

豚肉は一応声には出してみたが、それは自分自身への確認作業であり、
それ以上の意味は持たず、その声はトイレ内に虚しく響いただけだった。
再び先ほどと同じように、汗が噴出し、脈拍が上がった。

先ほどの奇妙なシルエットが頭から離れなかった。

普通であれば「半透明の膜」の向こう側には膝から胸くらいまでの
人影が見えるはずなのに、あのシルエットは少なく見積もっても、
脛から股下くらいまでだった。

あのままのペースで上半身が続けば、
身長はおそらく3m前後はあるだろう。
隣に川合俊一が並んだとしても、あまりに哀れでならない。

彼は深い深呼吸をした。
そしてトイレのドアを開けて玄関を見た。
外はもうすでに明るくなり、
太陽がまたずいぶんと攻撃的な日差しを刺していることがわかった。

シルエットを見て、脈拍はさらに上がった。
昨夜と同じだ。またあの成長ホルモン分泌過多男が我が家の前に立っている。
日差しが彼の下半身をくっきりと浮かび上がらせていた。
豚肉は、再び居留守を使うことも考えたが、意を決して玄関のドアを開けること決めた。

自分の稼業への漠然とした不安感と目の前の大男への不信感の両方を持って、
彼はひとまず玄関のドアの内側に立った。

「はい」

「すいません、佐川急便です」

「・・・・そうですか。でも今は朝の7時前ですよね。これっておかしくないですか。
佐川急便さんの配達は朝8時以降だったはずですが」

オンボロで穴の開いたドアであるが、一応名目上は玄関のドアを挟んでいる。
覚悟を決めた豚肉は少々強気な発言をしてみた。

一つ驚いたのことは、相手の声は、女性だった。
完全に体格から想像するに男だと思っていたが、
でかい女がいても不思議ではない。もうここまで不思議なことが起こり続けると、
豚肉とって不思議や驚愕へのハードルはかなり高くなっていた。
ドアを開けたらどこかで見た映画のように全く違う町並みが広がっていても、
「まぁそういうこともありえる、ありえる」と済ませてしまえそうな気さえした。

「え。あの、今はちょうど昼の12時ですが」


「・・・・えっ」

20090615

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むかしばなし1


ふたを閉じた便座の上で、考える人以上に考えている人のような体勢で目が覚めた。

「まずい」
率直な感想が豚肉の頭を駆けめぐった。

眠ってしまった。14時には友人が原稿を取りにくることになっていた。
腕時計の張りがチッ、チッと額のあたりで時を刻んでいる。
両腕で頭を抱えるようにしたまま、上体を起こすのが怖い。

まずい。まずいぞ。
こんな気分で目が覚めるのは、中学でテスト勉強を一夜漬けでやってから何度も
経験している。
どこかのだれかがなにかの本で、「人間は恐怖とスピードに慣れる生き物です」
と語っていたが、この恐怖感だけは45になった今でも自分を戦慄へと導く。

とか考えていても仕様がないので、観念する。
いざ勇気を振り絞って、顔を上げ時計を見た。

時計は6:45を指していた。
ひとまず安堵するが、今までの経験から言ってとても14時には間に合わない。
かといって1ページも進んでいない原稿を見せるわけにはいかない。

今から少しでも形になっているものを書き上げなければ。
そう思って豚肉はフフ、と微笑を浮かべた。

昨晩21時頃だったか、徹夜を覚悟してコンビニへレッドブル3本と
煙草1カートンを買いにいったではないか。
そこから帰ってきてすぐに、よしやるぞとパソコンを開いたではないか。
煙草をくわえながらキーボードを打つ指は迅速に動いていたではないか。

それらすべて、今日の14時までに原稿を仕上げるためだったではないか。
それは今後生きていく糧をつなぐためのものだったではないか。


それがいまや、生きるためという目的はそのままに、
「体裁の整ったものを用意する」という、こすずるい方向に傾いてしまっている。

自分はなんと人間らしい生き物なのだろうと思う。
いや、きっと周りも同じなのだろう。その場しのぎの施策に知恵熱を上げたりするのだろう。

ただ周りは自分よりも要領がよく、もっと高いところで同じように悶々とする場面を
迎えているのだ。
こんなに低いところで、それも45にもなってウンウンと脂汗を書いている自分は………

「おれは純粋なんだよ」

と締めくくりを声に出すと同時にインターフォンが鳴った。
豚肉の心臓は鼓動を早めた。




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